礼文・利尻に向かうフェリーの待ち時間を利用して稚内市街の散策をしてみました。駅近くだけでも稚内公園、北防波堤ドーム、戦前のJRの最北端の地に、稚泊航路記念碑とC55の動輪の展示があり、少し足を延ばせばノシャップ岬も行けそうです。今回は、昼食込みのおおよそ2時間の待ち時間でしたので、近くだけでしたが、北の果ての港町の若干寂しげな風情が味わえました。
ちなみにノシャップ岬にはバスもあり、15分おきぐらいに出ていましたので、十分に往復できるようでしたが、今回はパスしました。
まずは出発点である最北の駅、稚内駅です。
稚内駅ビルの商業施設キタカラが全面開業したのが2012年とのこと。新しくモダンな駅ビルです。中にはお土産店、食堂があり、奥にセイコーマートがありました(ビルの外側から回った方が分かりやすいかもしれません)。
駅前には、駅ビルの中を貫いて、外まで線路が続いていました。その写真が上の右側で日本最北端の線路となっていました。
新しく駅ビルを元の駅の位置より引っ込んだところに建てたことで、駅の外に終端が出てしまい、ここを昔の名残として記念碑にしたようです。
一方、駅が引っ込んだことで、駅前の広場が広大になっていました。
次に、最果ての港、稚内港へと向かい、今日乗船する場所へ行ってみました。
フェリーターミナルは駅のすぐ近くだろうというイメージがありましたが、歩いて15分ほどかかりました。
駅を出て右に向かい、すぐ駅前の大通りを札幌方面に戻るように右に曲がりそのまま行くと、最初の信号のある交差点のところで左に曲がり、道なりに進めば到着です。
駅前大通りを左に曲がって、右に港が見えるところから、港の中に入って、右方面へ岸壁に添って行くと近道ですが、初めてではちょっと不安かもしれません。ちなみにこの岸壁添いに歩いているときに、エゾシカに睨まれました。こんな街中にも生活している・・・自然豊かなところです。
取り敢えず船の切符を買って、散策に出ました。
港沿いにノシャップ岬の方面(北)に向かって行くと、広場に出ました。
水夢館という温水プールやジムのある施設やホテルがあり、敷地が公園のように芝生で整備され、道沿いの生垣や植え込みにはハマナスが数多く植えられていました。
その先に、大きな建造物が見えたので行ってみると、北防波堤ドームとありました。その昔、この北側の埠頭には樺太航路の発着場があり、その発着場を波から守るために1936年に完成した防波堤だそうです。総延長427m、高さ13.6mもあり、古代ローマ風建築物の様相で壮観な眺めです。
この北防波堤ドームを海側に向かって行くと中ほどより先端に近いところに、稚泊航路記念碑とC55の動輪が展示されていました。
稚泊航路記念碑は、戦前に稚内から樺太に連絡船があったことを記念し、動輪はその時の機関車のものです。すなわち、貨物線としての最北の線路の終端はこの埠頭の上にあったということになります。
稚泊航路記念碑より(抜粋)
「この地稚内から、いまは異国の地、樺太大泊に、国鉄稚泊航路が開設されたのは、宗谷線が稚内まで全通した翌年の大正12年5月1日である。「この航路は、167キロの海上を約9時間を要し、ときに宗谷海峡特有の濃霧、あるいは結氷、流氷との悪戦苦闘により守られてきた。
昭和2年砕氷客貨船亜庭丸(3,355トン)、昭和7年最新鋭船宗谷丸(3,593トン)が就航するに及び、その往還は飛躍的に繁栄の一途をたどってきた。
しかし、終戦直後の昭和20年8月24日18時、22年にわたる歴史的使命を終え、その幕を閉じたのである。」
動輪の碑文より
「この車輪は、昭和12年3月、C55型として製造され、わが国では19番目にあたる機関車の主動輪です。昭和20年までは稚内と大泊(現サハリン州コルサコフ)を結ぶ稚泊連絡船への接続列車を、戦後は急行「利尻」を牽引するなど大活躍をしました。放射状スポークの美しいのが特徴です。」
歴史を感じさせる一文です。
以下は埠頭からの景色です。
今回は行きませんでしたが、駅を出て西側に稚内公園があります。今回は遠景の写真だけになってしまいましたが、市街地を一望できる高台に位置し、氷雪の門や樺太犬(タロ・ジロ)記念碑など稚内を代表するモニュメントがある公園ということで、下の写真の中央に見える塔が稚内市開基百年記念塔・北方記念館で、展望台にもなっているので、無理してでも行ってみれば良かったかなと若干後悔しています。
今回は、駅と港の周辺をふらふらと散策しただけですが、それでも結構見るに値するところはありました。時間があれば、ノシャップ岬や稚内公園にも寄ってみたかったところです。
さて、その後、フェリーに乗り稚内の遠景を海から撮りました。
稚内駅からノシャップ岬に向かって稚内公園の先に、自衛隊の稚内分屯地があります。陸・海・空の最北端の基地で、北方地域のレーダー基地となっており、北の守りを担っています。
まとめ
時間があまりなかったので相当割愛してしまいました。実は45年前に一度回ったことがあり、昔の写真を見ながら感慨に耽っていたのですが、街並みや駅、フェリーターミナルは新しくなりましたが、やはり最北端の情緒は今も変わらないように思います。海の色、空の色、一つずつが東京に住んでいる私にとっては全く違うものに見えてきてしまいます。訪れてみるに足る地だと思いました。
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