稚内公園

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前回稚内に来た時に寄ることが出来なかったので、ここに寄らずしてと心残りだったので行って来ました。ノシャップ岬から公園に向かったが、街中の道を通るため、やや分かりづらい。案内も出ているが、周りの景色が向かっている雰囲気にならない。しかし、街並みが切れたところに入口の案内があり、そこから林の中に入る上り坂になっている。登っていくと急に周りが開け、その先に海と「氷雪の門」の像が見えてくる。稚内公園を訪ねてみて、景色の良い場所というだけでなく、改めて戦争の悲惨さや、国境の町の歴史を知ることで北方領土を考え直す機会ともなった。

稚内市街(国土地理院地図閲覧サービスより)

稚内市街(国土地理院地図閲覧サービスより)

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稚内公園を「氷雪の門」の方面に登ってくると、稚内の街を見下ろすことのできる場所がある。目の前に稚内港、稚内市街地と、その先に宗谷岬がかすんで見えていた。

稚内公園からの眺望

稚内公園からの眺望

ここには、稚内公園のシンボルでもある「氷雪の門」が建っている。ほぼ真北を背にして建っており、この先に樺太が見えると言う。

氷雪の門

氷雪の門

戦前には稚内から樺太に連絡船があり、稚内港の北防波堤ドームのある所が船着き場で、そこから9時間ほどかけて樺太大泊まで運行されていたという。稚内駅も北防波堤ドームまで貨物線が繋がっていて、国鉄が樺太までの航路を稚泊航路として運営していたのだそうだ。このように樺太と密接な関係があったのが、戦争直後の昭和20年8月24日に閉鎖されということだ。
そのころまでは人の出入りも比較的自由だったのだろう。そして、閉ざされ樺太の地を踏むことが出来なくなったことによる望郷の念と樺太で亡くなった人たちの霊を慰めるために、この「氷雪の門」を建立したとのこと。

氷雪の門碑文

氷雪の門碑文

氷雪の門の西側に、九人の乙女の碑がある。終戦の5日後にソ連軍が突然対日参戦し、樺太南部の占領作戦を開始、樺太の真岡郵便局の電話交換手たちは業務を継続していたが、ソ連軍の攻撃を受けたため、自決をしたという。

九人の乙女の碑

九人の乙女の碑

九人の乙女の碑文

九人の乙女の碑文

この「氷雪の門」などの碑のある場所から南側の離れたところに稚内市開基百年記念塔がある。この下は北方記念館になっており、稚内に役所などが正式に置かれた1879年から数えて100年を記念して建てられたものという。

百年記念塔

百年記念塔

稚内は現状の日本最北の都市という印象で見てしまいがちだが、歴史的な面を見ると、全く別の一面が見えて来る。稚内公園はそれを知ることのできる場所だと感じた。

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