四国ではあまりに有名な足摺岬だが、46年ぶりの再訪となった。当時は灯台周辺しか整備されていなかったが、今は遊歩道がくまなく整備され、当時は知らなかったような場所にも容易に行けるようになっている。
切り立った岬の姿や荒々しい海の姿は今も昔も変わらない。
灯台周辺
観光案内所の前から、しばらく歩いたところに展望台がある。ここからの灯台の姿が、やはり足摺岬の特徴を表して最も景観が良いと思う。
展望台から東の方へ、天狗の鼻、ビロウ自生地の方向へ向かってみた。この道は椿のトンネルになっていて、ずっと椿などの木に覆われた道を歩いて行く。海などの景色は見えないが、緑の中で、鳥の声を聴きながら歩くのは実にすがすがしい。折りしも春到来の季節であったためウグイスの声が響き渡っていた。
椿のトンネルを抜けて、天狗の鼻に着く。視界は海へと開けている。右手に灯台が見え、左手は数々の岩礁とその先に太平洋が広がる。
天狗の鼻から戻り、また椿のトンネルをさらに東へと進む。途中に小さな沢があり、まるで山奥にでも来たような気さえする。そのような中、椿よりも一回り大きい木が大きな葉を茂らせている。ビロウの木だ。急に南国来たようだ。本数はあまりないがこの地の植生としては珍しいとのこと。
すなわち、ここのビロウ自生地は東限地になるそうだ。ちなみに北限地はどこかと調べたら長崎県平戸市沖の阿値賀島という所に有るらしい。
ビロウ自生地から同じ道を戻って、灯台の下まで来た。海の反対側に広場があり灯台を見ることは出来るが、その先の海は見渡せない。
灯台の周りも歩くことができるが、断崖のやや内側にあたるため景色は望めない。
足摺の七不思議
灯台を離れて白山洞門の方へと向かう。途中、足摺の七不思議なるものがあった。見落としたものもあるが、見かけたいくつかを紹介する。
最初に出会ったのは「地獄の穴」という、まさに小さな穴だ。今は保存のため屋根が付いているが、数センチの穴が開いている。この穴に硬貨を落とすと、いつまでもその落ちる音が聞こえたという。穴は金剛福寺のすぐ下まで通じていて、まさに、地の底の地獄につながっているという言い伝えだそうだ。今は穴が詰まって落ちる音はしないということだ。
次に「汐の満干手水鉢」という案内板があった。説明を読んでも何のことやらという感じだったが、どうも下記写真の石のくぼみに、海の汐が満ちているときは水が溜まり、引いているときは水が無くなるらしい。当日は水が溜まっていなかったが・・・真偽は分からず。
この汐の満干手水鉢の近くに「千万滝」という看板があった。どんな滝だろうと期待して歩いて行っても見当たらない。2往復ほどしたが分からない。後で調べたら、今はないのだそうだ。幻の滝だ。これは七不思議には入っていないが、そのことが不思議ではあるが。
なお、昔はこの辺りに小川があり、その水が崖下に流れ落ちていて、名前はその名残りのようだ。崖下からの吹き上げる強風で滝が巻き上がる姿が見えたとか。ちなみに”センバンタキ”と読むようだ。なお、この場所からは灯台を展望することのできるスポットでもある。
遊歩道から少し入った所に「亀石」という岩があった。なるほど見ようによっては亀にも見える。弘法大師が不動岩という灯台前の海中の岩で祈祷をする際に亀に乗ってその岩に向かったという。その亀を呼んだ場所に、この亀石が向かっている姿らしい。
白山洞門付近
足摺岬七不思議(実際には9つぐらいあるそうだ)を見ながら進んで行くと、海岸へと降りる階段がある。ここを降りて行くと目の前に白山洞門の岩が見える。下から波の打ち寄せる音が響いてくる。
白山洞門の前に出ると、大きな岩にポッカリと穴が開いており、先に太平洋が見える。波は洞門で増幅されて押し寄せてくる。豪快な波の音が印象的だ。
白山洞門は海食洞門のうち、花こう岩で出来たものとしては日本一の規模だそうで、天然記念物に指定されている。
洞門の先を行き、振り返ると洞門のある岩が、さも何の変哲もないようにぽっかりと鎮座している。また、違った景観が楽しめる。
洞門からさらに進むと、石のごろごろした浜となっている。アロウド浜と呼ばれているようだ。この先の岩礁まで平坦な浜が続いている。さて、アロウドとは何のことか、未だ分からず。
浜から戻って駐車場に向う前に、金剛福寺に寄ってみた。第38番札所になる。昔と雰囲気がずいぶん変わっていた。建物などが増えていたような気がしたが気のせいだろうか。
最後になってしまったが、ジョン万次郎の像を見て出発することにした。ちょうど夕陽を背にして神々しく佇んでいた。
土佐清水の漁村で生まれたことでここに像があるようだ。
まとめ
足摺岬はあまりに有名な場所ではあるが、観光案内所や遊歩道の整備が進んでいたことや足摺の七不思議などが紹介されていたことを除けば、昔と大きく変わっていない気がした。国立公園ということもあるが、自然そのものが、断崖絶壁を中心とした人を寄せ付け難い地であることで、余計な手が入らなかったせいだろう。
昔は自殺の名所と言う有難くない評判もあったが、今はその汚名を返上したのであろうあまりそのようなうわさは聞かない。その分、自然をそのまま自然として受け入れることができる。
そして、その自然の雄大さは息を呑むものがある。
コメント