四国の西側の最南端の地、室戸岬。高知からは80kmほど離れており、車は海岸沿いをひた走ることになる。奈半利を過ぎるともう町らしいところはなく。ときたま人家を見かける程度になってくる。公共交通機関は奈半利までは土佐くろしお鉄道が通っているが、その先はバスのみとなる。岬の東側も甲浦(かんのうら)駅まではバスのみである。
色々な施設も含めて室戸岬の景勝地は岬の先端から西に700mほど、東に1200mほどの区間に国道沿いに弘法大師ゆかりの場所などが並び、海側には海岸沿いに遊歩道があり海岸植物や様々な奇岩が並んでいる。
室戸岬には前日夕方に着いたのだが、残念ながら夕陽が雲に隠れ見えなかった。せめて、翌朝の日の出を見ようと思い、灯台から良く見えるだろうと浅はかな考えで灯台に向かった。車だったので、室戸スカイラインを登ってすぐの所に灯台の入口から第24番札所でもある「最御崎寺(ほつみさきじ)」へ向かう道を5分ほど行くと、灯台に着く。ただ、灯台の裏側までしか入れず、海は見えるが岬の姿は見えず、かつ、東側が開けていないので日の出はここからは見えそうにない。
慌てて、海岸に戻り、日は出始めてしまっていたが、かろうじて写真に収めることができた。ただ、雲があったことと、季節の関係もあるらしく、有名なダルマ朝日にはなっていなかった。
気を取り直して、改めて室戸岬の海岸線を歩いてみることにした。
出発点は、岬の先端よりやや西側にある「中岡慎太郎」像の前からであった。
中岡慎太郎は坂本龍馬とともに活躍し、京都の近江屋で刺客に襲われ龍馬とともに落命した幕末志士だが、この室戸岬に像があるのは安芸の出身だったことに由来するようだ。
この像の左後ろに、展望台への小径がある。ここを登ると、太平洋に突き出る足摺岬の先端を眺望することができる。
展望台を降りて、国道を渡ると海岸に沿って遊歩道が続いている。多くの場所が防風林なのだろう、うっそうと茂った南国らしい照葉樹の林の中にある。道は舗装されていて歩きやすい。周りを見渡せないのでどこにいるのか分かりにくいが、海と国道に挟まれているので迷うことはない。
途中にアコウの大木があった。
他にも遊歩道周りには花や多肉植物などが観察できる。
林間の遊歩道を抜けて海岸を望みながら歩いていると、国道沿いに人の顔のような姿をした大きな岩が見えてくる。地図に「天狗岩」とある。ちょうど「御厨人窟(みくろどう)」のあるすぐ脇にあるのだが、帰りに見た時には顔には見えなかった。岬先端側から来たときだけの姿のようだ。
海岸側に目を向けると、先のとがった岩が見えてくる「エボシ岩」だ。なるほど先のとがった烏帽子に見える。
この辺りには変わった岩が多い。その中に穴の空いた岩がいくつかあり、それぞれに成り立ちが違うとのこと。塩が空けた穴というのがあった。海水が岩に染み込み、岩の小さな隙間に塩の結晶ができ、結晶が大きなって、その隙間も大きくなったものが、雨水などで塩が溶け出した結果穴となるとのこと。また波などで小石が岩を削って大きな穴を空けたものなど、興味深いものが色々とある。
エボシ岩から、国道側に行ったところに「弘法大師の行水の池」という場所があった。本当に浴びたのかは分からないが、水は藻が発生していてやや緑色になっていた。もっとも、この場所は地質学的な見地では、むしろ岩の隆起の跡が分かるものとして貴重なようだ。すなわち、岩の下部分にえぐれた部分があるが、その上側に波打ち際に住むヤッコカンザシという生物の巣があり、そこが昔は波打ち際にあったという証拠になるそうだ。岩の高い位置で、さらに現在の波打ち際からずいぶん離れている場所にあることでこの地の隆起の歴史が分かるという。
行水の池から波打ち際の方に向かうと「ビシャゴ岩」という岩がある。斑レイ岩だそうだ。マグマが地層に入り込んで横に広がったものが、プレートの動きで90度回転し立ち上がり、堅い部分だけが残って現在のようになっているようだ。
「ビシャゴ」というのは魚を主食とする「ミサゴ」という大型のタカの地方名ということだが、この岩の上から魚をねらうミサゴからその名がついたのか、「おさご伝説」という絶世の美女「おさご」が自分に言い寄る男たちが争うのを悲観してこの岩から身を投げたという話があり、それがミサゴが魚を狙って海に飛び込む姿と重なるのか、単に「ミサゴ」の猟場の意味なのか、分からない。そのため色々想像を馳せることになるが、かえって、それが神秘性を増しているのかもしれない。
ビシャゴ岩は波打ち際にある。室戸の波が絶えず押し寄せ荒々しい様子を見せている。
ビシャゴ岩の先で海岸沿いの遊歩道は終り、国道に出て、岬先端へと戻る。
遊歩道の終わりの場所の国道の先、やや上に「室戸青年大師像」という白亜の弘法大師(空海)像が海に向かって立っている。「明星来影寺(みょうじょうらいえいじ)」という寺の中にあり、入口には仁王像が睨みを利かせている。
ここから、岬先端に向かう途中に、「御厨人窟(みくろど)・神明窟(しんめいくつ)」というところがあった。
この場所は、海食洞というから、ここもかつては波打ち際で波に削られた洞窟ということになる。
御厨人窟は平安時代初期、青年時代の弘法大師がこの洞窟に居住した場所と言われ、この洞窟から見える風景が空と海のみだったことから「空海」の法名を得たという。また、その右側の神明窟という洞窟は修行を積んだ場所とのこと。ここで明星が口に飛び込み悟りが開けたとある。
なお、今は崖からの落石があるようで、洞窟の入り口には落石除けの屋根が出来ているので、遠目には鉱山の入口のような景観になってしまっている。
なお、左側が御厨人窟(みくろど)と左側が神明窟(しんめいくつ)になる。
御厨人窟の中の様子。生活をしていた場所ということで、空間はやや広い。中には入れなかったので、洞窟の中から見える空と海だけの景色は見ることができなかった。
神明窟、こちらで修行をしたという。御厨人窟よりはやや狭く、特に高さは低い。
御厨人窟の左隣に、「弘法大師修行之処」という石碑があり、その裏に小さな洞窟があった。特にこの場所の案内板には記載がないので、特別な場所ではないのかもしれない。中に供え物などがあるが、祠のようなものもないので、献花台のような利用のしかたをしているのかもしれない。
御厨人窟から、さらに岬先端側に進むと、「遍路道」がある。この上の第24番札所である「最御崎寺(ほつみさきじ)」へ向かう道となっている。灯台へもここから行くことができる。
お寺と灯台は朝寄ったので、途中にあるという「一夜建立の岩屋」と「捻岩」に寄って見ることにした。
「一夜建立の岩屋」は遍路道を登ってわずかな所にあった。この岩屋は観音窟と云われているようで、弘法大師が一夜にして岩を削り、岩屋を建立したとのこと。ここには以前は観音様が祀られていたとのこと。なるほど御厨人窟のような自然の形ではなく、人の手で彫られたような造りになっている。ただ、弘法大師に関しては伝説が多く、調べても具体的な史実を見つけることはできなかった。
岩屋から3分ほど登った所に「捻岩(ねじりいわ)」があった。弘法大師がこの地で修行をしているころ、母が訪ねてきた際、嵐に会い、それを見つけた大師が岩を捻じって洞窟を作り避難させ助けたという伝説の岩という。人が2、3人身を隠せるぐらいの空間がある。
この先しばらく登ったが、時間の関係もありここで引き返して、岬先端にまで戻った。これで岬周辺の主だったところを回ったが、ほぼ1時間半ほどの時間だった。かなり狭い範囲に集中しており、かつ、険しい所もなく、比較的気軽に回ることができた。
さて、車でこの後、鳴門方面に向かったが、足摺岬の先端からやや外れているが、「夫婦岩」という場所があったので寄ってみた。場所的には「室戸世界ジオパークセンター」のすぐ近くにある。残念ながらジオパークセンターは休館していたので、夫婦岩に寄るだけになってしまった。岬先端からは約13kmほどある。
夫婦岩の前に数台止まれるぐらいの駐車場がある。ここから海の方へ道が続いており、2つの岩がしめ縄でつながっている。いわゆる夫婦岩の姿だ。なお、秋分~春分というから9月後半~2月後半ぐらいに、この岩の間からダルマ朝日が望めるのだそうだ。
室戸岬は初めてであったが、南国と台風銀座というイメージが強くて、もっと荒々しい波が打ち寄せている場所のように思っていたが、意外と穏やかに見えた。
室戸岬は世界ジオパークに認定された場所で、それは室戸岬のすぐ近くに海のプレートと陸のプレートがぶつかり合う南海トラフがあり、地震のたびに海底にあった岩などが隆起し、新たな大地が誕生している場所を間近にみることのできる場所ということだ。どうしても名前の付いた岩の形に目がいってしまうが、案内を見るとその成り立ちが知れておもしろい。弘法大師空海の歴史と地球の歴史という視点の違う見方のできる点もまたおもしろい。
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