北海道えりも町にある「百人浜」とは200年ほど前にこの沖で御用船が難破し、その犠牲者がこの浜に打ち上げられ、その数が100人に上ったことから付いた名という。
黄金道路の終点になる庶野からえりも岬の近くまで続く10㎞程度の砂浜全体を言うそうで、えりも町の中ではここだけは岩礁がなく砂浜となっている。その百人浜の中ほどに「百人浜の展望台」がある。
道路の丘側に駐車場があり、駐車場に並んで展望台に向かう道の反対側には、観音堂と一石一字塔がある。いずれも海難犠牲者を供養するものだが、一石一字とは供養のために約2400文字のお経の文字を一つの石に一文字ずつ写経したものという。
また、この観音堂の丘側の奥には「悲恋沼」という沼があり、こちらはアイヌの女性と和人の男性の恋の物語、男性が内地へ戻ることになり、悲しんだ女性の涙の化身という。悲しい物語の集まった所だ。
そして、ここがちょうど北緯42度に当たる地で、その石碑もある。
百人浜の展望台につながる道から振り返る。写真左がえりも岬側、奥から駐車場、中央の石碑は北緯42度を示すもの、木々に囲まれて観音堂が見えるが、中に入ると一石一字塔がある。
海難犠牲者の供養のために建てられた観音堂と一石一字塔(写真は露出を失敗)。木々に覆われた中にあり、一種独特な雰囲気を醸し出している。
観音堂の向かいのクロマツの林の奥に展望台があり、その先に百人浜がある。このクロマツの林は植林によるもので、えりも岬はかつて、カシワやミズナラ・シラカバなどを主とする広葉樹の原生林で覆われていたが、明治以降、燃料としての木々の伐採や、牛・馬・綿羊の放牧などによって,原生林は切り開かれ、えりも岬特有の強風にさらされ、大地は砂漠化してしまったそうだ。
そのような状況を脱するため、昭和28年に本格的なえりも岬の緑化事業がスタートしたとのこと。その後もえりも岬の強風で困難を極めたが、それを乗り越えて現在にあるという。
その結果、魚の回遊も戻り、昆布の好漁場となったというから、自然の繊細な仕組みを感じることが出来る。
およそ100mほどで展望台に着く。開設時間はあるが無人の展望台だ。ここに登ると百人浜、緑化事業の成果、悲恋沼などを見渡すことができる。
展望台から見る百人浜
緑化事業による木々の様子。クロマツや広葉樹、その間は草原となり、しっかりと砂丘を覆っている。
展望台から駐車場側を見ると悲恋沼がひっそりと水をたたえている。
展望台から、さらに100mほど進むと百人浜の波打ち際まで行くことが出来る。進むここまでの間は草原の様になっているところを歩くが、とにかく海からの風が強い。これらの草や木が無ければ本当に砂漠のような所だったのだろうと感じる。
波打ち際は風は強いが、穏やかな感じさえする。百人もの人の命を奪った場所とは思えないが、ひとたび荒れればその脅威は計り知れないのだろう。
砂浜には打ち上げられた流木がたくさん。
風も強く、人もあまり訪れないのか砂浜には美しい風紋が現れていた。
えりも岬は岩礁のある荒々しい海の景観をイメージしてきたが、このような砂浜があり、そして何十年もかけて自然と闘ってきた歴史を感じることのできる場所があることを知った。
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